巨人の永久欠番は6つ!2026年最新一覧と制定理由・6人の功績を徹底解説
読売ジャイアンツ(巨人)の永久欠番は、2026年現在、背番号1・3・4・14・16・34の6つです。王貞治、長嶋茂雄、黒沢俊夫、沢村栄治、川上哲治、金田正一という、球団の歴史を築いた6人の名選手に、それぞれの番号が結び付いています。
巨人の永久欠番の歴史は1947年に始まり、1989年の王貞治の背番号1を最後に、新たな永久欠番は制定されていません。戦後間もない時代に生まれた制度から、V9時代を支えた名選手、そして「ON」と呼ばれた王・長嶋まで、その経緯は巨人軍の歴史そのものです。2025年に長嶋茂雄が89歳で逝去したこともあり、背番号3が持つ意味は改めて注目されています。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 永久欠番一覧:2026年現在、巨人の永久欠番は1・3・4・14・16・34の6つ。
- 制定の理由:黒沢俊夫と沢村栄治の番号が1947年に制定され、その後、王貞治や長嶋茂雄らの功績をたたえる番号が加わった。
- 現在の扱い:永久欠番は通常の選手に継承されない。松井秀喜にゆかりのある55番は、正式な永久欠番とは異なる扱い。
【2026年最新】巨人の永久欠番一覧は背番号1・3・4・14・16・34
巨人の永久欠番を制定日とともに整理すると、最も古いものは1947年の背番号4と14、最も新しいものは1989年の背番号1です。日本野球機構(NPB)の公式個人成績や、巨人の歴代背番号資料を照らし合わせると、6人の功績と番号の位置づけが分かります。
| 背番号 | 選手名 | 制定日 | 主な功績・位置づけ |
|---|---|---|---|
| 1 | 王貞治 | 1989年3月16日 | 通算868本塁打。世界的な本塁打記録を残した球界の象徴 |
| 3 | 長嶋茂雄 | 1974年11月21日 | 通算444本塁打。「ミスタープロ野球」として人気を集めた名三塁手 |
| 4 | 黒沢俊夫 | 1947年7月9日 | 戦後のチームを支え、現役中に逝去した外野手 |
| 14 | 沢村栄治 | 1947年7月9日 | 通算63勝22敗、防御率1.74。戦前を代表する伝説的投手 |
| 16 | 川上哲治 | 1965年1月18日 | 通算2351安打、打率.313。選手・監督の両面で球団に貢献 |
| 34 | 金田正一 | 1970年4月2日 | NPB通算400勝。巨人でも投手陣を支えた左腕の大投手 |
巨人の永久欠番は、単に優秀な成績を残した選手の番号を空けておく制度ではありません。現役中に亡くなった選手や戦争で命を落とした投手への追悼から始まり、球団の歴史を象徴する選手への顕彰へと広がってきました。
なお、上記の制定日は各番号の永久欠番指定日です。選手が現役でその番号を着用し始めた年や、引退した年とは異なります。

【制定の歴史】1947年の背番号4・14から始まった理由
巨人の永久欠番の歴史を理解するうえで重要なのが、最初に制定された2つの番号です。背番号4の黒沢俊夫と背番号14の沢村栄治は、いずれも1947年7月9日に永久欠番となりました。戦争と終戦直後の厳しい時代背景が、この制度の出発点にあります。
背番号4・黒沢俊夫――戦後の巨人を支えた外野手
黒沢俊夫は1914年生まれの外野手です。複数球団でプレーした後、巨人に加わり、戦後の選手不足が深刻だった時期に打線を支えました。NPBの公式記録によると、プロ通算484試合に出場し、打率.259、7本塁打、201打点を記録しています。
巨人在籍時には166試合に出場し、打率.300を記録。戦後の1946年には105試合に出場して121安打を放ち、チームの中心打者として奮闘しました。
しかし、黒沢は1947年6月23日、腸チフスにより33歳で亡くなります。現役選手の突然の死を受け、巨人は背番号4を永久欠番にしました。これは日本プロ野球における永久欠番の先駆けとなる出来事でした。
背番号14・沢村栄治――戦争で失われた大投手の功績
沢村栄治は1917年生まれの投手で、プロ野球草創期を代表する存在です。1936年に始まったプロ野球で活躍し、NPBの公式記録では通算105試合に登板して63勝22敗、防御率1.74、554奪三振を残しています。
沢村は1936年に球界初のノーヒットノーランを達成するなど、圧倒的な投球で名を残しました。しかし、戦争に召集され、1944年12月2日に27歳で戦死しています。
黒沢の死から間もない1947年7月9日、巨人は沢村の背番号14も永久欠番に指定しました。戦争で失われた才能を後世に伝えるという意味でも、この番号には重い歴史があります。沢村の功績をたたえる「沢村賞」が、プロ野球の優秀な先発投手を表彰する賞として現在まで続いていることも、その影響の大きさを物語ります。
1965年から1989年へ――球団の象徴をたたえる制度に
1947年の2つの番号に続き、1965年には川上哲治の16番、1970年には金田正一の34番、1974年には長嶋茂雄の3番、1989年には王貞治の1番が永久欠番になりました。
後に続く4人は、現役時代の成績だけでなく、球団の歴史に残した影響の大きさでも知られています。特に川上監督が率いた巨人は1965年から1973年まで日本シリーズ9連覇を達成し、いわゆる「V9時代」を築きました。王と長嶋はその中心選手として、巨人だけでなく日本のプロ野球全体を代表する存在となりました。
【6人の功績】王貞治・長嶋茂雄らの背番号に込められた意味
永久欠番となった6人の功績は、それぞれ異なります。打撃記録、投手としての圧倒的な実績、戦後復興期の奮闘、そして監督としての優勝実績。背番号ごとに、その人物が巨人に残したものを見ていきます。
背番号1・王貞治――通算868本塁打の偉業
王貞治は1959年に巨人へ入団し、主砲として長年にわたり打線をけん引しました。NPB公式記録によると、通算2831試合に出場し、2786安打、868本塁打、2170打点、打率.301を記録しています。
868本塁打は、日本プロ野球史において突出した数字です。王は本塁打王15回、首位打者5回、三冠王2回などの実績を残し、1977年には国民栄誉賞の第1号受賞者となりました。
1980年に現役を引退した後も助監督や監督を務め、背番号1を着用しました。監督退任後の1989年3月16日に永久欠番となり、背番号1は「世界のホームラン王」を象徴する番号として受け継がれています。
背番号3・長嶋茂雄――記録と記憶に残るミスタープロ野球
長嶋茂雄は1958年に巨人へ入団し、華やかなプレーと勝負強い打撃で人気を集めました。NPB公式記録では通算2186試合に出場し、2471安打、444本塁打、1522打点、打率.305を記録しています。
長嶋の魅力は数字だけでは測れません。守備や走塁を含む躍動感のあるプレー、勝負どころでの存在感、観客を引きつけるスター性によって、プロ野球の人気拡大に大きく貢献しました。
1974年11月21日に背番号3が永久欠番となった後、長嶋は2000~2001年に監督として再び同じ番号を着用しています。これは別の選手に番号が継承されたわけではなく、本人が監督として戻った際の特例的な経緯です。
長嶋は2025年6月3日に89歳で逝去しました。巨人の公式追悼ページでは、背番号3を中心に功績を振り返る企画が展開され、同年8月16日の追悼試合では選手や関係者が背番号3のユニホームを着用しました。こうした追悼での着用は、通常の選手への番号継承とは異なります。
背番号4・黒沢俊夫――数字以上に重い戦後の記憶
黒沢の永久欠番は、通算本塁打数やタイトル数を基準にしたものではありません。戦後の厳しいチーム事情のなかで打線を支え、現役中に病気で亡くなったことが制定の背景にあります。
巨人在籍時の打率.300という成績や、1946年に121安打を放った実績は、黒沢がチームにとって重要な戦力だったことを示しています。背番号4は、戦後の野球を支えた選手への追悼を今に伝える番号です。
背番号14・沢村栄治――伝説の投球を後世に伝える番号
沢村の背番号14は、プロ野球が現在のように発展する以前から、投手が試合を支配できることを示した歴史的な存在です。通算63勝22敗、防御率1.74という成績に加え、ノーヒットノーランを達成した実績は、球界草創期の水準を知るうえで欠かせません。
戦争によって27歳で生涯を終えた沢村の名は、永久欠番だけでなく沢村賞にも残っています。背番号14は、競技の記録と、戦争によって失われた選手の人生の両方を思い起こさせます。
背番号16・川上哲治――打撃の神様からV9監督へ
川上哲治は1938年に巨人でプロ生活を始め、1958年まで選手としてプレーしました。NPB公式記録では通算1979試合に出場し、2351安打、181本塁打、1319打点、打率.313を記録。首位打者を5回獲得し、「打撃の神様」と呼ばれました。
選手引退後は指導者としても実績を残し、巨人を1965年から1973年まで9年連続日本一へ導きました。選手と監督の双方で球団史に大きな足跡を残した点が、背番号16の特別な位置づけにつながっています。
背番号34・金田正一――NPB通算400勝の左腕
金田正一は国鉄スワローズで長く活躍した後、1965年に巨人へ移籍しました。NPB通算400勝、4490奪三振、防御率2.34という記録は、プロ野球史を代表する投手成績です。
ここで注意したいのは、400勝が巨人だけで挙げた数字ではない点です。巨人でプレーしたのは1965~1969年の5シーズンで、その間の勝利数は47勝。キャリア全体で築いた記録と、巨人在籍時の実績を分けて見ることが、選手の功績を正確に理解するポイントです。
金田の背番号34は1970年4月2日に永久欠番となりました。巨人での貢献に加え、NPB史上屈指の投手として残した通算記録が、番号に特別な意味を与えています。

【現在の扱い】2026年も6つの永久欠番は継承されていない
2026年現在、巨人の永久欠番は背番号1・3・4・14・16・34の6つです。通常の選手がこれらの番号を新たに着用することはなく、球団の歴史を象徴する番号として扱われています。
永久欠番の「永久」は、選手の引退後に番号を別の選手へ引き継がないことを意味します。ただし、長嶋のように、永久欠番となった後に本人が監督として同じ番号を着用した例や、追悼試合で特別なユニホームを使用する例があります。これらは番号の通常継承とは別のケースです。
長嶋の逝去後、2025年8月16日に行われた巨人の追悼試合では、選手たちが背番号3のユニホームを着用しました。巨人の公式追悼ページでも、背番号3を長嶋の象徴として前面に打ち出しています。これは永久欠番を解除したという意味ではなく、功績をたたえるための特別な演出です。
なお、巨人の永久欠番は1989年の王の背番号1を最後に、新たに制定されていません。長年活躍した選手であっても、必ず永久欠番になるわけではありません。球団への貢献、歴史的な記録、ファンや野球界に与えた影響など、複数の要素が重なって初めて、その番号が特別な存在になります。
【永久欠番と準永久欠番の違い】松井秀喜の55番はどう扱われる?
巨人の背番号を調べると、永久欠番とは別に「準永久欠番」という言葉が登場します。代表例として挙げられるのが、松井秀喜の背番号55です。ただし、準永久欠番は6つの永久欠番と同じものではありません。
永久欠番は球団の歴史に刻まれた番号
永久欠番は、球団が特別な功績を認め、以後の通常の選手には番号を継承しないという扱いです。巨人では背番号1・3・4・14・16・34が該当します。指定日が記録され、歴代背番号の資料でも永久欠番として整理されています。
準永久欠番は、正式な永久欠番とは異なる扱い
準永久欠番は、偉大な選手の番号を一定期間空けておく場合や、特別な敬意を示す番号について使われる呼称です。NPB全体で統一された正式な永久欠番制度と同じ意味ではなく、球団の方針や報道上の表現によって使われ方が異なります。
松井秀喜の55番は、その代表例です。松井は1993~2002年に巨人で背番号55を着用し、メジャー移籍後は番号が空き番となりました。その後、2009~2013年には大田泰示が継承し、2014年から再び空き番に。さらに2022年から秋広優人が着用し、秋広の移籍後は再び空き番となっています。2026年現在も、55番は正式な永久欠番ではありません。
55番の経緯が示すのは、番号が空いていることと、永久欠番として正式に指定されていることは別だという点です。選手が着用していない番号をすべて永久欠番と呼ぶのは誤りです。歴代背番号の変遷と、球団が正式に指定した永久欠番を区別して確認する必要があります。

【プロの結論】巨人の永久欠番を正しく理解する3つの視点
巨人の永久欠番を理解する際は、単に6人の名前と番号を暗記するだけでは不十分です。制定の背景、選手の功績、現在の番号の扱いをセットで確認すると、背番号が持つ歴史的な意味が見えてきます。
- 制定日と選手の現役時代を分けて見る:永久欠番の制定日は、入団年や引退年と必ずしも一致しません。公式記録や歴代背番号資料で、指定日を確認することが重要です。
- 通算記録と巨人在籍時の記録を区別する:金田正一の400勝はNPB通算記録です。巨人での実績とキャリア全体の記録を混同しないことが、選手を正しく評価する基準になります。
- 空き番と永久欠番を混同しない:松井秀喜の55番のように、後継者が着用した歴史がある番号は、正式な永久欠番とは異なります。番号の現在の状態だけでなく、過去の継承経緯まで見ることが大切です。
永久欠番の価値は、記録の大きさだけでは決まりません。黒沢俊夫や沢村栄治の番号には追悼の意味があり、川上哲治、王貞治、長嶋茂雄らの番号には、選手としての偉業や球団の歴史を象徴する意味があります。金田正一の34番も、NPB史に残る投手記録と巨人への貢献を併せて考えることで、その重みが理解できます。
【巨人永久欠番】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:巨人の永久欠番は2026年現在、全部でいくつありますか?
A1:2026年現在、全部で6つです。背番号1の王貞治、3の長嶋茂雄、4の黒沢俊夫、14の沢村栄治、16の川上哲治、34の金田正一が該当します。
Q2:巨人で最初に永久欠番になった番号は何番ですか?
A2:背番号4の黒沢俊夫と背番号14の沢村栄治です。どちらも1947年7月9日に永久欠番となりました。黒沢は現役中に腸チフスで亡くなり、沢村は戦争で命を落とした投手です。
Q3:王貞治の背番号1や長嶋茂雄の背番号3は、今後ほかの選手が着用する可能性はありますか?
A3:永久欠番であるため、通常の選手に継承されることはありません。長嶋が監督として背番号3を再び着用した例や、2025年の追悼試合で特別なユニホームが使われた例はありますが、いずれも通常の番号継承とは異なります。
まとめ:巨人の永久欠番は6人の功績と球団の歴史を伝える
巨人の永久欠番は、2026年現在、背番号1・3・4・14・16・34の6つです。1947年の黒沢俊夫と沢村栄治から始まり、川上哲治、金田正一、長嶋茂雄、王貞治へと、時代ごとに球団の歴史を象徴する番号が加わりました。
6人の功績を振り返ると、永久欠番には打撃や投球の記録だけでなく、戦争や病気による別れ、選手としての偉業、監督としての実績、そしてファンに与えた影響が刻まれていることが分かります。2025年に長嶋茂雄が逝去した後も、背番号3は追悼の象徴として受け継がれています。
今後、巨人の背番号を見る際は、正式な永久欠番なのか、準永久欠番と呼ばれる番号なのか、あるいは単に空き番なのかを区別することが大切です。背番号の歴史を知れば、ユニホームに記された数字の一つひとつが、巨人軍の歩みを物語る記録として見えてきます。 (出典: 巨人 永久 欠番(Yahoo!ニュース))